design week-工房
2週間早かった。10月末からあっといまの11月半ばである。このままではあっというまに年を越す。そうなってしまうまえに、備忘録。10月末には、commoc+mafiの展示があった。僕は双方に深くかかわっているので、会場構成と家具をひとつつくった。mafiとしても、commocとしても多くのお客さんをつかんだとは思うけれど、僕自身のプロトタイプ、commoc+mafiは、可能性というところで完成度をあげるにはあと2ステップは必要だった。いつまでたっても家具は本当に難しい。commocだけでなく、duendeからも折角商品がでたので、売り込みだとおもって、いくつか知っている海外のお店にメールをうってみたりしたけれど、取り扱いたいが、日本から商品はその流通が問題だという。小さなメーカーが、世界で勝負するうえで、そのようなことをいかにクリアしていくかは大きな課題になっていると思う。さらに英語という壁があって、思ったよりも根が深そうだ。僕もそこにコミットしていきたいけれど、本業は建築の設計であり、家具の設計である。本業がおろそかになっても仕方がないというのもありつつ、ここにチャレンジするべき何かを感じているのも事実・・。
今回のデザインウィークにおいて、二俣さんとのトークは思わぬ収穫だった。case realというチームを率いる二俣さんのことは当然よくしっていたのだけれど、まさか僕のことを知っているとは思いもよらず、さらに対談の相手に選んでもらったわけで、とても光栄なことだ。彼の仕事の幅はとても広い。それはジャンルだけではなく、コストという意味においてもだ。そして、どの仕事にもピーンと張りつめた空気を感じる。ぬかりなし。いかにラフな仕事であっても彼の仕事だとわかる緊張感だ。とてもきちんと考えられていることに尊敬もするし、おこがましいが共感もする。美意識といってもいいかもしれない。僕は彼の美意識が好きなのだろうと思う。
もうひとつ、今年のデザインウィークがいままで違うことは、ここ数年でコミニケーションをとってきた海外からのデザイナーたちとこの時期に東京で交流をもてるということがわかったことだ。僕は海外にいけば、思う存分ゲストとしての立場に甘んじてちゃっかり泊まったり、遊んでもらったりしているが、当然のこととして、彼らが日本にくれば僕がそれをやるべきなのだ。そのルールがなくなってしまったら、旅行はさみしいものになっていくだろう。
今回わかったことの一つとして、積極的にデザインイベントに関われば、それはそれなりにバックがある。なるほど。来年もぜひそんな風に積極的にかかわっていこう。。。
最後に、石巻工房について。
昨日からハーマンミラー本社から屈強の男たちと、グラフィックデザイナーチームが石巻入りしている。ベースとなったのが、石巻工房であり、松竹というわけだ。場所があり、機能をあたえ、適切な人材がそこにいれば、何かが起こる。実際石巻ではそのようにしていくつも出来事が起こってきた。松竹の阿部さんは誰よりも先に4mの津波にたえ、キッチンを復活させた。だから今、フル稼働しており、ハーマンミラーチームの胃袋を満たし、キッチンカーでラーメンを200杯売り、さらなる店舗展開が待っている。復興バーは、あの小さなお店に20人が入り、壁に穴が開いていた。そして石巻工房も、なんとか維持させてきたことで、今回のハーマンチームが工具の増強や様々な可能性をみせてくれている。東京の家具会社からの発注も来た。いまの工具がなければ受けれなかっただろう。僕は工房が、そのような場所をつくることのお手伝いをすること、そしてDIYそのものの精神が少しずつでもあのエリアに浸透していくことができるのではないかと思っている。あのような状況化で、どのような活動も答えなどわからずに動いている。わかるわけがない。正解などない。きっと間違いもない。最近そんな間違いを一生懸命揚げ足取りするひともいる。でも誰がそれを間違いだって断定できる?僕は、その間違いが間違いにならない可能性のほうが大きいと思っている。これは直観の域をでないけれど、ミスキックだってときにスルーパスになるように、犬もあえうけば棒にあたるように。工房を被災地につくることは、いままでの答えからすると程遠い。だからこそ、僕は答えに近いんじゃないかと思っている。