Ishinomki Laboratry – cat
石巻工房
石巻工房を会社化することになった。立ち上げてから2年半。販売を始めてから2年がたつ。(ここまでは石巻工房工房長の個人事業である。)石巻でのメンバーは6人。4人が石巻に住み、2人が仙台から通っている。今も多くのサポートを東京のデザイナーから受けているけれど、今年会社化をすると共に完全な自立を目指している。
すでに石巻チームにおける給与や2つの倉庫、オフィス、そして工房などの家賃はなんとか回してきた。現地雇用もそうだが、現地不動産を活用することが石巻工房の一つの役割だった。現在5つの場所を借りてすこしずつお金を落としている。ひとまずそのアイデアと思いは達成したと言えるだろう。ワークショップの大家さんからは、石巻工房ストリートにしたらいいと応援されている。僕もチームも本気でそうしたいと思っている。
どこまで大きくするかは、家具メーカーにおいては必ずしも思惑通りにはいかない。ちょっとずつ背伸びしながら成長を促す他ない。その小さな背伸びにおいて、特にいま力を入れているのが海外進出とコントラクト業務である。海外へは去年2度、今年はまずアンビエンテに出品する。ケルンにもaa stoolのみ出品した。海外からのメディア対応も増えつつある。海外進出は単なるブランドということではなく、本気でビジネスをする作戦でいる。それなりに柱として計算できるところまで来ている。コントラクトに関しては、徐々に増えている。簡単に、そしてそれなりに安価でかつデザイン、コンセプトがしっかりした家具は実のところそんなにあるものではない。また既成材料だけを使ったザックリな家具がもつ力強さ、アイデアは石巻工房ならではと言える。ここには家具のデザインとしても、インテリアをつくっていく上でも大きな可能性をひめていると思う。
そんなコントラクトに関してだが、いままでどのような工事を石巻工房でおこなってきたかまとめてもらった。
これらの仕事をみて、安心して石巻工房に仕事を頼んでもらいたいし、可能性も知ってもらいたい。
そして石巻周辺でも暗躍して、工房ストリートのみならず地方都市の可能性をデザインから生み出すことも続けていけたらいいと思っている。
ビジョンを語ってみる
飛行機でジョブズの映画をみた。出来がいいとは言えないが、これから起業を考えている人にとっては背中を押されるところもあると思う。映画の中での彼のコメントや行動には起業家が持つべき資質とは何かが学べるし、(もちろん学ぶべきことではないこともある)同時に彼が天才がゆえのユニークさと自分とのギャップも見えてくる。
彼は映画の中で常にビジョンを語っている。もちろん映画だから誇張されているところはあるだろうけれど、ビジョンを語り続けたものだけにしか、それを実現するチャンスはないのだ。宝くじが当たるのも買った人だけという論理と同じである。まずビジョンを語る、書くことは大事なんだろう。ところがこれは天才じゃなくてもできる。例えば、居酒屋で突然話しかけてくるやからの多くが素晴らしいビジョン語る。彼らはくだを巻きつづけ、あるものは世界を変える。有言実行できるかいなや、そこだ。しかしだ、真似したくてもなかなか真似できない。今はAC ミランの本田が小学校の卒業文集においてミランに入ると書いたと話題になったが、これは同じようにビジョンを語った多くのサッカー少年のうちたった一人、彼だけが実現できたわけだ。同時に本田にしてもそのモチベーションを若いときから持ち続けたゆえの結果なのだ。
まずはビジョンを語ってみるか。来年の。。
繰り返すが映画の出来は良くない。
クライアントの役割
最近僕はしばしばクライアントである。残念ながら家を建てるわけではなく、家具デザインやグラフィックを依頼するメーカー、あるいは設計事務所としてである。クライアントの立場になると発注者側での重要な役割が見えてくる。そうした中で、建築におけるクライアントと設計者の関係は若干歪みがあること気づき始めている。その最たるものが「お施主様」というクライアントの呼称である。僕がクライアントとしてデザイナーにデザインを頼むとき、彼らは僕のことを決して「お施主様」とは言わない。当たり前だと思えるかもしれないが、建築の世界では、しばしばクライアントを「お施主様」と呼ぶ。ついでに言っておくと契約関係のない設計事務所と工事会社と間で、アーキテクトが「先生」と呼ばれる。僕はこれらの慣習が結果として大きな損失に繋がっていると思っている。はっきりいって面倒だし、弊害もあるのでここでしっかり書いておきたい。
たとえ話を書いてみる。出資を集め宝を探しに行くキャプテンは操縦士を始め多くのスタッフが必要になる。キャプテンは長旅においてチームの士気をあげるために、腕のいいコックやミュージシャンを同船させたほうがいいだろう。キャプテンは宝を探すために最高のチームを作ることが成功の近道だ。
このとき操縦士、コック、ミュージシャンは上下関係で結ばれるよりもパートナーであるほうがいい。そもそもリスクのある航海である。裏切りなどのリスクはつきまとう。宝は経費を除き4分割すると宣言すれば士気はさらに上がる。とはいえ船を持ち、計画を企てたキャプテンは様々なリスクを背負っている。だから会計を明示した上で報酬という形でコラボレーター契約することが望ましいだろう。パートナーである彼らは上下関係で結ばれた契約より遥かに素晴らしい仕事をするだろう。これは意匠設計者と構造設計者の関係に似ている。
さて話を建築のクライアントと設計者に戻す。クライアントにとっての最大の利益は最高のデザイン、家、建築である。宝探しと構図を重ねてみる。クライアント/キャプテンは良きチームを作ることが求められるだろう。建築はしばしば旅に例えられるほど時間がかかる。住宅ですら設計か竣工まで2年近くかかることもある。設計者は操縦士でありパートナーだ。正しい道程を探り、遂行するのが役割だ。キャプテンと相談し予算や船の大きさなどを吟味。どこまで遠出ができるのか、どれだけの財宝つめるのか、工程のリスクをチェックすることが求められる。時に才能があり、想像力豊かなキャプテンは船を操縦したくなるかもしれない。がしかし、もちろんキャプテンは操縦桿を握るべきではない。熟練の操縦士は、一見戸惑っているように見えて、最高の工程を臨機応変に組み立てている可能性もある。全体工程のコンセプト共有は必要だが、基本的に操縦は専門家に任せるべきだろう。だれも寿司カウンターの向こう側に行き、寿司を握ることが得策だとは思わないはずだ。キャプテンは大事なことをあらゆる局面で正しい決断をする準備をする必要がある。さらに大事なのは全体の士気が下げないことがキャプテンの役割である。良きチーム時に個性派揃いでコントロールが難しい。いかに最高の仕事をしてもらうか、頭を使うべきだろう。まだまだ書き連ねることができるが、キャプテンの役割は大きくコントロールし、才能豊かなチームを信頼することでプロジェクトを成功させることだ。
話を戻す。「お施主様」文化においては、「お施主様」の意向が最大化される。仮にそれが美しくなくても、チグハグでも、理にかなってなくても、最高の結果を求めるはずのチームはただ垂れ流される意見に従うチームへと成り下がる。思ったこと正しいことを言えないうなだれた設計者は現場で「先生」と呼ばれ少し自信を取り戻す。現場と先生は結託して、「お施主様」の意向さえ聞けばいいチームとなる。このチームが「お施主様」にとってあらゆる意味においてマイナスであり、危険でもある。
そろそろ結論を書く。あくまで理想の話として。
クライアントにおいてするべき本当の仕事は良きチームをつくり、チームのモチベーションをどこまで引き上げることができるのかだろう。もちろんこの役割をチーム全体に委ねることもできる。大事なことは素晴らしい結果のために、チームで動いている認識をして努力をすることなのだろう。チームで働いたことの経験があるクライアントであれば、スタッフや下請けの頭を押さえつけて、「働け!働け!」と言ってもなに一ついい仕事はうまれないことは知っているはずだ。「お施主様」と呼ばれて悪い気はしないかもしれない。僕も正直「先生」と呼ばれると思わず気が緩む。しかしながら、この立場に安住している限り、いい仕事はチームから生まれにくい。チームができた段階でゴールとゴールへの方法論を一度チームで話し合うといいのではないかと思っている。そして「お施主様」と呼ぶのも呼ばれるのも辞めるべきだろう。
どこまでデザインするのかを決める。
「どこまでデザインするか」この命題には大きなテーマが眠っている。今日はその中のほんの一部について書いてみたい。結論から言えば、語弊はあれど、どこまでもデザインするべきといえる。そうは言ってもデザインが出来なくなる壁が必ずやって来て、あるところで諦めざるえない。わかりやすい壁がコストだ。そして時間。(隠れた大きな壁はデザインフィーもあるが。)次の壁はクライアントからの要望であるが、本来これは対話で解決されるべき問題だ。そして設計者のスタンス、スキルと続く。
繰り返すが、僕はどこまでもデザインするべきだと思っている。その大きな理由の一つは、立ちはだかる壁を知ることがデザインワークに置いて重要だからである。そこでの選択こそが本当のデザインの分かれ道であるとも言える。様々な例をあげることができるが、ちょっと変わったところで設計者のスキルにおける壁の例を挙げてみたい。例えば僕は椅子のデザイン、絵を書くことはできるが、あえてやらないことの方が多い。でもソファーはしばしばデザインをする。己の技量を冷静に眺め、またクライアントからのコストを有効に使うべく判断は正しい壁であり、クライアントの利益である。そこでは外注するという選択肢もある。冷静にプロフェッショナルへ仕事を委ねる勇気も重要だ。またコストによって既製品を選ぶときと特注品との違いをよく知っておくべきだ。スタッフとのやり取りでは9割何でも作る覚悟で設計をしろといい、1割はコストパフォーマンスを考えてスマートに選べという。設計の内容と既製品がマッチしていればそれは素直に受け入れるべきであり、駄々をこねて作りたがるのはバランスがいいとは言えない。
次に別の視点から考えてみたい。まず空間は様々なチャンネルで繋がっている。当たり前ように聞こえるかもしえないが、この事実は案外共有が難しい。玄関のハンドルとキッチンのツマミの関係を論じられることは少ないが実は空間で繋がっており、触覚でも繋がっている。この事実に対し真摯に丁寧に対応することが空間のクオリティーを上げて行くのだが、そのためにはどこまでもデザインする必要がある。ここは安易には譲れないところだが、結構妥協しがちである。多くはコストにまける。一番負けたくないところである。コストで負けないために立ち上げたのが、「parts by commoc」でパーツメーカーである。このメーカーについてはまた別の機会に紹介したい。
プロフェッショナルインターン
設計事務所をインターンをしながら世界中を回るツアーをするというツワモノが今事務所にいる。ウクライナートルコータイーそして日本ーさらにオーストラリア、ニュージーランド、南米のどこか。。。へと続くそうだ。また、このツアーについて雑誌社と契約しており、写真と記事を定期的に発表するそうだ。こんなたくましさが、若かりし僕にも欲しかった。さらに彼女はアーキテクトになりたいと言った。キッパリと。とにかく彼女の未来は明るいだろう。少なくとも1年以上かけて回るアーキテクチャーツアーは彼女が将来何をやるにせよ、大きな大きな財産になるに違いない。
海外に事務所をもつこと
中国のクライアントに北京で事務所を出すようにと勧められた。言葉も喋れないなかで可能かどうかわからないし、必要なのかもわからない。(おそらく今は必要ない)もっというと僕自身のキャリアとして正しいかどうかもわからない。ただ僕が嬉しいと思ったのは、まず可能性がゼロではないということ。アワードの授賞式で行ってきた深圳ではからずとも世界中から野心をもってやってきたデザイナーと話ができた。既に多くのビジネスを中国でしているデザイナーや、もちろん、これからの可能性を探っているデザイナーもいた。ニューヨークから来たインテリアデザイナーは、人生ってゲームみたいなものだろって、仕切りに話していた。おそらくニューヨークから深圳に16時間かけて来て、美味しくないワインを飲んでいるとそんな気分になったんだろう。でも本当にそうだ。選択肢は常に潤沢に用意されている。そこでの選び方はロールプライングゲームでどんな武器を選ぶか、どの街にいくか、どんなパートナーを選ぶか。。その都度いかにその選択を楽しむか、その結果を楽しむか。
僕らにとっての人生はデザインであり、デザインは人生だ。だからデザインを楽しむこと、バラエティに飛んだクライアントと楽しむことは人生を楽しむことと同義だ。
北京と、中国とより深く関わること、ゲームをもっと楽しむか、ちょっと様子をみるか、その選択肢が手中にあると思うだけで人生が豊かになった気がする。もちろん参加しない自由もあるし、参加する自由もある。別のゲームに参加する自由や可能性のほうが重要かもしれない。とにかくその拡がりが嬉しかったのである。
(10年はやらないと思うが。。)
伝える努力
先日クライアントとの会食で、設計事務所は伝える努力を怠っていると指摘された。いやアドバイスされたと言った方がいいだろう。おっしゃる通りなのでぐうの音も出ない。それでいてクライアントには理解を求めるようでは本末転倒だろう。そもそもこのブログでは(といっても殆ど更新していないが、最近では)派手な宣伝をするなど仕事をとる行為はしないと宣言してきた。そうだとしても、我々の仕事とはなにか語り続ける必要はあることは間違いない。誤解されることの多い仕事であるし、公共性の高い仕事だからだ。そして建築人として、デザインとは、建築とはなにかと個人的な見解を語るべき、伝えるべきだろう。具体的に言えば、設計者を選ぶクライアントのために、デザインを志す若い人たちのために、あるいは良質な建築やデザインの恩恵を受けるはずの社会のためにとも言っておきたい。
そんなのことを思い、ふと思い立ってスマートフォンで更新するシステムを入れた。今更感は拭えないが空き時間を埋めてしまう悪しき小道具をつかって更新していこうと。ここのところ急増している移動時間を有効活用していこう思う。
スタッフ/アルバイト募集
急に世の中が動きだした感じがします。
ここ1年近く3人体制で動かしていた事務所ではありますが、
やりたいことや、仕事のクオリティーを上げていくためにもう一人スタッフ、
あるいは常駐に近いアルバイトに来ていただきたいと思っています。
僕らと一緒に仕事をしたいと思っている人で、事務所のクリエイティビティーに貢献できると
思う方、あるいは貪欲に学びたいと思っている方、e-mail, info@keijidesign.com
にまずはPDFにてポートフォリオやその意気込みを教えてほしいと思います。
私たちの仕事はwebsiteをご覧ください。
https://www.keijidesign.com/cms/
業務としては、建築は、集合住宅、住宅。
インテリアは、オフィス、店舗。
あとは、家具のデザインもいくつか。
英語ができる方はクライアントが外国人であったり、家具のメーカーとのやりとりやメディア対応などで
大変助かります。
経験がなくても、伸びしろがありそうだと思った人といっしょにやってきました。
数年働いた後、独立したり、結婚したり、別の事務所にいったり様々ですが、
ここで学んだこと、建築の考え方、ものづくりについての知識は、
決して無駄にはならないと思います。
能力給
週休二日
朝9時から夜7時
フロムエーのようで恥ずかしいのですが。。。
僕が言うのもなんですが、設計事務所にしては働きやすい職場だとは思います。
設計事務所にしては :)
それではよろしくお願いします。
芦沢
design week-工房
2週間早かった。10月末からあっといまの11月半ばである。このままではあっというまに年を越す。そうなってしまうまえに、備忘録。10月末には、commoc+mafiの展示があった。僕は双方に深くかかわっているので、会場構成と家具をひとつつくった。mafiとしても、commocとしても多くのお客さんをつかんだとは思うけれど、僕自身のプロトタイプ、commoc+mafiは、可能性というところで完成度をあげるにはあと2ステップは必要だった。いつまでたっても家具は本当に難しい。commocだけでなく、duendeからも折角商品がでたので、売り込みだとおもって、いくつか知っている海外のお店にメールをうってみたりしたけれど、取り扱いたいが、日本から商品はその流通が問題だという。小さなメーカーが、世界で勝負するうえで、そのようなことをいかにクリアしていくかは大きな課題になっていると思う。さらに英語という壁があって、思ったよりも根が深そうだ。僕もそこにコミットしていきたいけれど、本業は建築の設計であり、家具の設計である。本業がおろそかになっても仕方がないというのもありつつ、ここにチャレンジするべき何かを感じているのも事実・・。
今回のデザインウィークにおいて、二俣さんとのトークは思わぬ収穫だった。case realというチームを率いる二俣さんのことは当然よくしっていたのだけれど、まさか僕のことを知っているとは思いもよらず、さらに対談の相手に選んでもらったわけで、とても光栄なことだ。彼の仕事の幅はとても広い。それはジャンルだけではなく、コストという意味においてもだ。そして、どの仕事にもピーンと張りつめた空気を感じる。ぬかりなし。いかにラフな仕事であっても彼の仕事だとわかる緊張感だ。とてもきちんと考えられていることに尊敬もするし、おこがましいが共感もする。美意識といってもいいかもしれない。僕は彼の美意識が好きなのだろうと思う。
もうひとつ、今年のデザインウィークがいままで違うことは、ここ数年でコミニケーションをとってきた海外からのデザイナーたちとこの時期に東京で交流をもてるということがわかったことだ。僕は海外にいけば、思う存分ゲストとしての立場に甘んじてちゃっかり泊まったり、遊んでもらったりしているが、当然のこととして、彼らが日本にくれば僕がそれをやるべきなのだ。そのルールがなくなってしまったら、旅行はさみしいものになっていくだろう。
今回わかったことの一つとして、積極的にデザインイベントに関われば、それはそれなりにバックがある。なるほど。来年もぜひそんな風に積極的にかかわっていこう。。。
最後に、石巻工房について。
昨日からハーマンミラー本社から屈強の男たちと、グラフィックデザイナーチームが石巻入りしている。ベースとなったのが、石巻工房であり、松竹というわけだ。場所があり、機能をあたえ、適切な人材がそこにいれば、何かが起こる。実際石巻ではそのようにしていくつも出来事が起こってきた。松竹の阿部さんは誰よりも先に4mの津波にたえ、キッチンを復活させた。だから今、フル稼働しており、ハーマンミラーチームの胃袋を満たし、キッチンカーでラーメンを200杯売り、さらなる店舗展開が待っている。復興バーは、あの小さなお店に20人が入り、壁に穴が開いていた。そして石巻工房も、なんとか維持させてきたことで、今回のハーマンチームが工具の増強や様々な可能性をみせてくれている。東京の家具会社からの発注も来た。いまの工具がなければ受けれなかっただろう。僕は工房が、そのような場所をつくることのお手伝いをすること、そしてDIYそのものの精神が少しずつでもあのエリアに浸透していくことができるのではないかと思っている。あのような状況化で、どのような活動も答えなどわからずに動いている。わかるわけがない。正解などない。きっと間違いもない。最近そんな間違いを一生懸命揚げ足取りするひともいる。でも誰がそれを間違いだって断定できる?僕は、その間違いが間違いにならない可能性のほうが大きいと思っている。これは直観の域をでないけれど、ミスキックだってときにスルーパスになるように、犬もあえうけば棒にあたるように。工房を被災地につくることは、いままでの答えからすると程遠い。だからこそ、僕は答えに近いんじゃないかと思っている。