Others - Journal

スタッフ募集

スタッフ募集します。

現在の仕事は、住宅、別荘の建築設計、インテリアはギャラリーやレストラン、カフェ、また家具や照明デザイン、また石巻工房のディレクター業務、石巻工房のショールームギャラリー運営にいたるまで多岐にわたります。基本的に建築のスキル、理解があればインテリア、家具などに関しては仕事をしながら覚えてもらうことになります。

クライアントも国内外、国籍も多岐にわたるため英語は少なからず理解することが求められます。

仕事は幅広いのですが、あらゆるプロジェクトにおいて、good designを目指しています。
打ち合わせや急な仕事がない限り週休2日。

給料は能力に応じて、17-36万円。
連絡は下記へよろしくお願いします。

メールはこちらへ
info@keijidesign.com

ポートフォリオ-PDFにてメールでお送りください。
資料を拝見させていただき、こちらからご連絡いたします。

芦沢啓治

ミラノサローネ2015雑感

ミラノからの帰りの飛行機である。少し多めにワインを飲んだので書き始めてみる。スケッチをするには頭のシャープさに欠けるし、小さな画面で映画をみるのも魅力がかける。ふと何か書いてみたいと思った。不思議である。数ヶ月書いてこなっかたのに湧き出るように書きたいことが出てきた。長女が中学生になったこと。ミラノサローネのこと。石巻工房のこと。建築のこと。家族のこと。家具のデザインのこと。友達のこと。これからの人生。。いや少なくとも今年考えるべきこと。ミラノからの帰りの飛行機だからミラノサローネについて書くのがいいだろう。ミラノサローネが一体僕にとって何なのか、そこはどんな場所なのか、一般的な話としてではなく個人的な経験として書いて見たい。

ミラノサローネとの出会いがなければ、僕は家具やプロダクトの世界で仕事をするようにはならなかったはずだ。これは僕だけではない。多くのデザイナーがミラノサローネによって育てられたと思う。だからどんなに忙しくても、お金がなくても、仕事しているクライアントに申し訳ないと思いつつも、僕はミラノに通うと決めた。最初は訳も分からず、そしてある部分コンプレックスを払拭するために、そして今は自分が向かうべき方向をアジャストするために来ている。結局3回自ら展示をして、何回か売り込みなんかもやってみて(うまくいかなったけど。。)最近ではデザイナーとしてのミーティングのスケジュールを入れることも増えてきた。去年からは石巻工房のトップとしての打ち合わせもする。少しずつだけど傍観者からプレーヤーに昇格したということだろう。未だに苦労している言葉もちょっとずつだけどなんとかなるようになってきた。実は伝えられる、聞き取れる以上に、立ち振る舞いが重要であることがここ数年でわかったことだ。これは言葉のスキルだけでは解決できない。40過ぎてこんな大事ことにようやく気がついた。

ミラノサローネ-多くのメーカー新作を発表する。同時に素晴らしいインスタレーションを経験する機会がある。これは本当だ。それらはもちろん素晴らしいが、僕は会いたい人に会えるということがもっと素晴らしいことだ思った。

ミラノではとにかく人にあう。食事をする。ビールやワインを飲みながら話す、聞く、そして考える。実際多くのデザインや空間を体験すること、ビジネスミーティングと同じくらいそこでの会話は重要だと思っている。その場で膝をうつような啓示を受けるようなこともゼロではないが、通常はここでの経験を消化するには時間がかかる。すなわち今もなんとなく考えている。書きながら考えている。なぜミラノの夜の会話が素晴らしいのか。多くの素晴らしい空間やデザインの体験とそうした会話がセットとなっていることが鍵である。同じ場所を旅行したもの同士思い出話に花が咲くように、会話は尽きない。そこからグッと深いところまで話し込むこともある。みな興奮状態であると言っていいと思う。ゆえに発せられる言葉には淀みがない。本音が飛び交う。
ディナーでは話たらずBar Basso に行く人も多い。朝まで飲めるとにかくデザイナーが集まるバーである。あれ程の人が集まっているのにクレームはない。これはミラノ、あるいはイタリアの懐の深さだろう。ミラノサローネの成功には幾つかの理由があると思うがイタリアの懐の深さとは関係があると思っている。(長いこと景気がわるいことも。)
bar bassoについて話を戻す。どこから湧いてきたのかと思うほどデザイナーやデザイン関係者が集まる。一流の国内外のデザイナーがいることで有名な場所だが、ビールを2本抱えた社交のプロの役割も見逃せない。おかげでなかなか帰れない。朝は時差ぼけで6時起きなのに2時、3時まで飲む。歩いて5分のところに宿があることを今回は恨んだ。2日通って身の危険を感じたので僕はそれ以上はいかなかったが。。何人かのデザイナーから毎日通ったという話を聞いた。合言葉「bar bassoで会おう」-しかしながら約束したデザイナーには会えない。そこに彼、彼らがバーにいるのかいないのかわからないが、実は問題にならない。とにかく会うべき人たちがそこに山ほどいるからだ。今回は初めてそこで出会って結婚したという話も聞いた。

バルバッソであう人達も含め、ミラノでしか会えない人が沢山いる。不思議なことにミラノに来ている日本人も含めだ。いや世界一周券を持ち会いに行けばいいかもしれないが、ミラノでは勝手に集まっているから、偶然会う。後ろから声をかけられることもある。世界一周券であれば一月はかかりそうな出会いが3、4日に凝縮されている。

最後にビジネスの側面で話す。この期間中にプレゼンをメーカーにしている人たちが結構いる。僕の場合あまり上手くいかなかったけれど、逆の立場から言うとメールで送られてくるよりは効果があると思う。メーカーのトップがミラノには来るので上手くアポが取れればそれもありだ。同時にメーカー側からアポを取ってくる場合がある。ミラノに来ているのであれば打ち合わせしないかと。このあたりはトップデザイナーになればますます可能性が増えていくのだと思う。

だからミラノサローネでは出会いが重要だなんてありきたりの結論ではあるけれど、本当のことだから仕方がない。特に日本から行く場合時差ぼけとの戦いもあり思った以上に体力の消耗は激しい。そして当然のこととして外国語を喋れればより可能性は拡がる。デザイナーであればこれぞという案を握りしめて。。

今、日本海上空である。あと1時間で日本に着く。昨日のディナーは昨年石巻工房の展示でお世話になったSCP-ロンドンの家具メーカーのオーナー、シェリダンさんに誘ってもらった。30回目のミラノだと言っていた。僕は8回目。また来年も来るのだと思う。

スタッフ募集

ありがたくもいい仕事をいただきつつあります。共にグッドデザインを目指すスタッフ募集します。

どうぞよろしくお願いします。

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Tent House

この清々しい家は
アーキテクト-Peter Stuchbury氏の自邸である。そして建築だ。

かつて僕は住宅は住宅であって、建築ではないと思っていた。数年前彼の手掛けた住宅を1週間で相当数見る機会があった。僕の建築的体験においては非常に大きな事件であり、住宅は建築なのだと考えを変えるにいたったのだ。

彼の建築の素晴らしさは、一言で言えば隅々まで彼の考え方が行き渡っていることだ。
隠そうとはせずに彼の経験、そしてユーモアすらもしっかり表れている。

もう少し建築的に言えば 、彼の構造があり、彼のデティールがある。独特なユニークさがあるにも関わらずそれらの多くは合理的かつ機能的である。これは僕がしっている素晴らしいアーキテクト、デザイナーに共通した能力だ。

繰り返すがこのテントハウスは彼の自邸である。アーキテクトという生き方を示そうとしているように見える。彼の建築と彼の生き方が分裂していないこと、そここそが大事なのだと教えられているようだ。建築-住宅に必要なものとはなんなのか、環境とはなんなのか、快適さとは、豊かさとはなんなのかを問うている。デティールには彼の初期のころの建築がもっていた素朴だか愛らしく機能的なデザインがちりばめていると同時に、あっけらかんとした空間はシドニーの環境の良さを謳歌している。これぞ本当のシドニーの素晴らしさ、シドニーがもつ環境の活かし方だとこの建築は語っている。

建築家という職業に不安を持った時、つい流されそうになった時、僕は彼の仕事を眺めることにしている。その中でもこのテントハウスは僕だけではない世のアーキテクトへのメッセージだともいえる。僕はそのメッセージに背中を押されているような気分になって、今日も頑張ろうと思う。

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しつこさ

従兄弟はお決まりの夏休みの宿題である読書感想文を中学1年生から高校3年生までずっと「老人と海」について書いたそうだ。毎年推敲し、新たな考察を付け加え、高校2年生の時には結構な賞までもらったという。この話を聞いたときは、単純に学校とは杜撰なところだと思っただけだった。つまり生徒が去年と同じ感想文を出してもチェックのしようがないのかと。いわんや論文のコピペなぞ。。最近ふとこの話を思い出して実は別の大事な教訓が隠れてるぞと思った。それは従兄弟の尋常ではない”しつこさ”である。いくらぐうたらだからといっても、ふと1年ぐらいは別の本を読み書いてしまう可能性は高い。リスクも抱えながら6年間続けるとは見上げた根性である。さらに大事なことは毎年ブラッシュアップさせていたことだ。賞を出した先生方はよもや中学1年生のときの感想文ベースにあったとは思うまい。なんと深くまで考えられた感想文だろうと感心したに違いない。
最近僕は物作りに必要なこと、デザインをする人間に必要なことの一つは”しつこさ”なんじゃないかとぼんやり思っていた。この話はその思いを強くさせる。
「まだあの人は同じことをやってる。」
これこそが褒め言葉だ。
しつこく同じことを繰り返すなかで、徐々に熟成させること、ブラッシュアップさせていくこと、その過程で発見することをもっと大事にしていこうと思った次第である。

健太郎君の結婚式

6年目のスタッフである山口健太郎君がこの度めでたく結婚した。北海道のトマムで行われた結婚式だが、私の家族そして全てのスタッフが参列、そして披露宴に出席させてもらった。とても心温まる素晴らしい結婚式だった。また新郎の上司ということではじめて主賓の挨拶などというものもした。(上手にはできなかったけれど。。)挨拶を考えながら彼が事務所にきたときのことを思い出した。決して人が必要な時期ではなかったが、給料はいらないとメールに書いてあり思わず雇ってしまった。(弊社の名誉のために言うがすぐに給料は払った。)とにかく潜り込んでしまえばあとは能力を発揮してもらうだけだ。彼の模型能力にすっかり魅了されて今や6年目である。模型のみならず彼独特の飲み込みの早さやデッサン力、そして最近ではデザインも信頼できるようになってきた。もうどこの事務所に送りこまれても重宝されることと思う。ところが、あと数年後には、いや1ー2年かもしれないが、おそらく彼は事務所にはいないだろう。それが設計事務所の宿命なのだ。それでも僕らはともに過ごした濃密な時間がある。数年間、家族よりも長い時間を過ごしてきたわけだ。血はつながっていないが、家族みたいなものだ。つまり、「独立するから辞めたい」というだろう。当然のことだ。僕も早く自立したかった。家族のようなものだから、いつでも帰ってくればいいと、彼を送り出すつもりだ。ブンデスリーガ-ドルトムントの監督クロップが日本代表の香川をイギリスに送り出したように。うまくいかなかったらまた手伝ってくれー!といいながら。

アトリエオイ & フレンズトーク

(追記しました。9/1)
アトリエオイの3人が日本にくる。個々のメンバーはちょくちょく日本にきている。とくにパトリックは昨年も日本に滞在しちいさな講演会を開いてもらった。なんと今回は3人くる。熱心な生徒としては、つねに大歓迎だし、彼らの面白さを勝手に広げたいと心から思っている。

アトリエオイのユニークさはなんといっても仕事のスタイルである。彼らがつくる、プロダクト、家具、インスタレーション、建築はちいさなアイデアから生まれていることが多い。そのアイデアは彼らがが数年にわたって研究している成果であったりすることもある。そのために大きな材料倉庫を地下にもち、本格的なワークショップを事務所に備えている。撮影スタジオも本格的だ。スタッフの一人は新しい材料や工法を研究、そしてオイのメンバーに伝えてるために働いている。彼らのオフィスは、アメリカ式のモーテルを改修したものだが、オフィススペースに併設して実験結果のようなプロトタイプが並んでいる。実に壮観である。
ひとつわかりやすい例といて、一本のひもの研究は、インスタレーションから、椅子、テーブル、照明、インテリアの数々に応用されており、どれも大変ユニークで興味深い。照明や家具はB&BやFoscalini といった一流メーカーから商品化され、インテリアにおいては多くの
スイスブランドのインテリアへと組み込まれている。

少々長い前段であったが、ここからが本題。折角の3人の来日である。アトリエオイのちいさな講演会を開くべきということでお話していたら、逆にオイのパトリックからお互いに知り合う必要があると提案された。フランクにそうした会をするべきだと。彼らのオープンマインドなデザインはそのまま人柄そのものでもある。今後日本との関係がより深くなるプロジェクトをいくつか抱えていることもあり、コラボレーターを探したいということもあるだろう。いや純粋に日本のデザイナーやアーキテクトに興味があるということだと思う。オイを結成するまえに、日本の設計事務所に就職しようとすら思ったという話を聞いたことがあるから、彼らの日本に対する興味は本物である。

よって、こんな会にしてみようと思う。まず彼らの話しをよく聞く。
次に彼らとすでにコラボレーターであるスプレッドや私がそれを引継ぐ。主に仕事の仕方、考え方を中心に話しをしてみたいと思う。今月半ばスイスにワークショップにいくというTorafuの鈴野さんが引き継ぐ。Torafuは、アトリエオイのように大変仕事をの幅が広くおそらくワークスタイルも近しいところにあると思う。仕事の仕方、考え方を中心にちいさなディスカッションをしたのち、ビールを飲み、枝豆を食べながらできる限り多くの人にオイのチームを個人的に紹介していきたいと思う。今後スイスと日本で何かが起きるとすれば、おそらくこうしたフランクな会から生まれるんじゃないかなと思う。

追記
(毎度ながらぎりぎりの告知で恐縮ですが、
プレゼンテーションのルールを決まりました。チーム15分で、仕事場の紹介と、クライアント無のプロジェクトを含めたスライドにしようということになりました。スライドは20枚です。さらに仕事場、仕事の仕方がいかに自分たちの仕事がいかにつながっているのかを中心にお話していければと思っています。)

以下詳細
申し込みは、こちらへ。

芦沢事務所 平山
hirayama@keijidesign.com

Talk shows

Atelier oï
http://www.atelier-oi.ch/

Keiji Ashizawa Design
https://www.keijidesign.com/cms/

SPREAD
http://www.spread-web.jp/

Torafu Architects
http://torafu.com/

場所: (株式会社ディー・サインさんに場所を御借りさせていただきました。)
kyobashi TORSO
〒104-0031 東京都中央区京橋3-3-11 京橋サウス2階
http://www.design-inc.co.jp/access/index.html

時間:
9月4日
18時半より開始
懇親会 8時より
協賛:コエドビール
http://www.coedobrewery.com/

それではどうぞよろしくおねがいします。

English Version,

I am happy to annouce to have a great to party and invite you.
Atelier oï,co-founder will visit tokyo early next month and we will
have a presentation party with their friends in Tokyo.

Hope to see you there.

Talk shows

Atelier oï
http://www.atelier-oi.ch/

Keiji Ashizawa Design
https://www.keijidesign.com/cms/

Spread
http://www.spread-web.jp/

Torafu Architects
http://torafu.com/

Place:
kyobashi TORSO
http://www.design-inc.co.jp/access/index.html

Time:
4th September 2014
Presentation Start from 6:30-
Party start 8:00-9:00
http://www.coedobrewery.com/

ラジオスターの悲劇

3時間を切るフライトは、映画を2本みることができない。だから本が読めたり、仕事したり、音楽を聞いたり、案外そんな時間が嫌いじゃない。音楽のチャンネルを回すと
「ラジオスターの悲劇」についてDJが説明している。
なんと皮肉で痛快な話だろう。バグルスの「ラジオスターの悲劇」は81年8月MTVで最初に放送されたミュージックビデオだそうだ。映像時代に置いてかれていく過去のアーティストを歌った曲が、である。

そしてこの曲を聞いていつも思うことはラジオスターは今もラジオスターだということ。

本も雑誌もなくならない。インターネットのクソ記事もなくならいように、良質な物は残り続ける。

きっと電気をほとんど熱に変える電球も、ガラス張りの家も、エネルギーを撒き散らすスポーツカーもなくならない。(やっぱりなくなるかもしれない。)

ただ一つなくなったかもと思うことがある。

ポケットにローカルもインターナショナルも入ったこの時代において、旅先で絵ハガキを書く小さな幸せは、僕からなくなったかもしれない。そう思うとあの時間が急に懐かしくなった。

教えられること

実は今年から武蔵美で非常勤講師を始めた。これが簡単ではない。毎週同じ時間必ず行く場所があるということの大変さを久しぶりに思い出した。それはさておき、幾つか感想を。結果として実は驚いた。大学2年生の力にだ。80人近い学生がいるのだが内数人は大変力がある。僕らの時代よりもはるかに出来る。情報にアクセスしやすいこともあると思う。それは模倣だという批判もあるかもしれないが、建築学生が必ず通る道のようなものだ。であるならば、あの力の入った模型たちはどう説明すればよいのだろう。コンクリートや木で出来た模型たち、ジェッソで塗り固められたマニアックな模型や、畳の大きさほどの模型。実は最初は徒労感を感じていた。まるで吸音室で喋るように吸い込まれる自分の言葉にどうしたものかと。

途中で気がついたことは、当たり前だがスタッフと学生とは接し方を変えないといけなかったということだ。当たり前のようだが、気がついたのは通い始めて数回目くらいだった。クライアントがいるわけではない。会社の名前を出すわけでもない。20歳の学生は建築を設計よりも前に図面というものと格闘し、模型作りに翻弄される本当にフレッシュマンなのだ。

そこでぐっと時計の針を20年前に戻し考えてみた。この時期に建築学生がするべきこと、そんなことがあるんだろうかと考えた。

1:気に入ったペンを見つけること。
2:スケッチブックを持ちメモやスケッチをする習慣を身につけること。
3:物の反対側を覗くこと。ベンチや椅子の裏側をのぞき、いかにして構造が成り立っているか考えること。
4:物の形の理由を考えること。
5:旅行していい建築を見ること。

よくよく見ると
今の僕にも大事なことだった。

上半期雑感

あっというまに今年も半分が終わってしまった。日々何かはしているわけだが、半年で何かを成し遂げたかといえば心許ない。とはいえ様々なことが同時進行で進み、終わり、始まっている。仕事という意味ではコントロールできる範囲で忙しくさせてもらってるからいい状況と言えるのだと思うが、何を半年でやったのか?といわれると、「動いた考えた」としか答えられない。
あるいは何か新しいことやりましたか?という問いにも上手く答えられない。おそらくやってないと答えてしまうだろう。何か全く新しいことをするべき、生み出さないといけないという過剰な圧力は本来モノづくりの世界では必ずしも良しとはされない部分もあるだろう。少なくとも建築はそうであってもらい。長く公共にさらされるものだし、維持管理が必要とするものだからだ。とはいえその圧力は微妙に建築設計者は感じていると思う。建築はスマートフォンではない。急に性能が上がったり、住まい方が変わったりはしないから新しいという安易な言葉には流されたくはないものだ。メディアに流れる新しいものを見よう見まねで新しさを表現することほど薄っぺらなことはない。新しければいいという過剰な風潮は実際どの世界でも決して歓迎される思考ではないはずだが、展示会やスマートフォン、デスクトップという場においては瞬間的で即物的な判断に委ねられるゆえその圧力があまねく業界に蔓延しているようにみえる。当然アンチもあるわけで、それはそれで上手く機能している。マジョリティではないけれど。

新しさという言葉を警戒すると同時に、何か新しいもの作りたい、考えたいと思うのは、物を作る人間にとってこれはこれで自然の流れでもあって、警戒中の僕ですらいつも求めていることだ。新しいものは常に古いものの上にのっかている。革新には歴史が必要だ。あるいは大事に育て守られ、時に異端が生まれることで大きく成長してきた文化が必要だ。最近自分が関わった建築や家具を眺めながら、いかに自分が多くの素晴らしいメンターから学んできたかを実感している。正しく未来に向けて繋がっているかは定かではないが、メンターから影響は明白である。もはや模倣と呼ばれても仕方がないほどに。もちろん彼らにもメンターがいる。時に彼らのメンターからの影響を感じたりすることがある。それは亡くなったじいちゃんに会っちゃったような不思議な気分だが、小さく感動もする。残念ながら僕が彼らにとっての正統的な後継者とはまだまだ全くもって言えない。少なくともそれは僕が決めることではない。

話をぐーーんと前にもどす。
どうしてこんなまどろっこしい話をするかというと、最近家具を一つ作った。これがここ数年考え続けておるデティールの延長かつ、ここのところ作っている家具のいいとこ取りみたいな家具なのだ。よくは覚えてないがウルトラマンタロウの最強の怪獣、タイラントのような寄せ集め家具なのだ。これを新しいとは僕は言えない。寄せ集めたいと思って作ったわけでもない。思考の延長線を素直に結んで作っただけである。タイラントは残念ながら寄せ集め怪獣にしか見えなかった。イカルスやゼットンのようなオーラを放つ怪獣に少なくとも僕の中ではなっていない。

タイラントか、はたまたさらにその先へ補助線を伸ばしていけるデザインになったのか。その判断にここのところ1年ほどかかっている。

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