震災後の10日間
夢じゃないだろうかと何度思ったことだろう。去る3月11日未曾有の巨大地震に見舞われたあとの怒涛の悲劇、そしていまだに不確かな状況で世界中に衝撃を与えつづけている原発事故。この10日間、多くの人同様ニュースを見続け様々なことを考え続けてきた。それはこの状況下で自分に出来ることは何かということのみならず、友人の住む石巻のこと、原発で被爆された人たちのこと、その周辺地域のこと、今後の日本がどうなっていくのだろうかという拙い想像や、僕がこれからどのように仕事をしていくのか、家族を守っていけるのかという極めて個人的なことまで。そしていまもニュースを見続ける。時には涙を流しながら、子供と遊びながら、横断歩道を渡りながら。どうやら、夢じゃないのだと毎朝思う。
子供たちは、地震が怖いといっている。テレビの映像とあの地震がつながっていることに
ようやく気づきはじめている。すくなからず不安がっている。
実はこんな状況下ではあったのだが、台湾に出張にいっていた。2泊3日が飛行機がキャンセルされて3泊になってしまったが、その間すこしでもこの状況が変わるかと思いきや、僕も含めて何も変わらなかった。台湾では日本よりもヒステリーに状況を伝え、とくに原発に関してはまるで隣町での原発事故のようであった。空港でマスクが配られ、テレビでは天気図と風の流れによる影響を討論している番組をやっている。僕はスマートフォン片手に日本でのニュースを追いかけ続けていた。
海外にいる友人、知人からメールやらfacebookにてお悔やみのメールが届く。いつもあなたと一緒だという英語の表現を知った。これが英語におけるお悔やみ申し上げますというセリフらしい。僕はそのメールに僕も、家族も大丈夫だと返信をしてきた。それ以外ほとんど書くことがなかった。
いつもよりも感傷的になった。ニュースや写真をみて恥ずかしい話だけれど泣かない日はないくらいだ。感動したり、悔しかったり、悲しかったり。
いずれにしても10日間たった。そろそろこうした喪に服す期間も終わりにしようと思った。本当は遅いのだろうと思うけれど行動をするタイミングだろう。一つはいつもと変わらず行動し、経済活動をする。これがいかに重要かは様々なメディアにて話されているから余計な解説は必要ないだろう。そして寄付以外に何ができるのか。僕ができることはなんなのかを考えはじめよう。これは案外難しい。僕は石巻で出来ることを探ろうと思っている。最後にこの困難な状況に負けてたまるかと決意しよう。この先どんな困難がこようが、負けてたまるかと。実はいろんなところから勇気と希望をもらった10日間でもあったということにあらためて気づいた。