Journal

景色の残像

一日中太陽がでている。
暗くなる前にねて、明るいうちに起きた。不思議な気分。まるで転寝のような・・。といっても眠りこそ深かったもののおそら(3-4時間の睡眠。まあ、旅行中はそのぐらいでも案外気をはっているので大丈夫。)

実際の仕事であれば最低5泊6日ということであるが、時差ぼけ解消や、見たかったものやお誘いもあり何泊は増やすことにした。仕事もおちついているからちょうど良いかと。学生のときに、何度かまとまった休みをつかってアジアに旅行にいったのだけど、あの当時その時間がどれほど貴重で、もう二度とやってこないかもしれないものだったかは今になってようやくわかる。
旅行は、いけるときに、えいっと無理やりいくものなのだ。旅行とはいえ、たかが10日だ。長い人生においては一瞬のようなものだけれど、されど10日。旅行の準備や、仕事の準備は万全なものとはいえない。実はいまさらながら後悔しているわけだけれど、覆水盆にかえらず。前にすすむしかなかろう。

出張前にいった石巻は、またさらに活気を増していた。とはいえ、町に多くの人が出歩いているということではなく、復興したお店の中の話だ。特に金曜日の夜はお店にはいれなかった。需要と供給のバランスの問題であるし、ボランティアが少しずつ減っていく冬になるとどうなのかはわからないと、時代屋というお店の店主曰く。残念だけれどその心配は的中してしまうかもしれない。その不安な状況をいかに変えるということは、かつてのように地元の人たちがいかにお金を使える状況をどうつくっていくか、もちろん外からの支援もそこに加えていくしかないだろう。震災ごみ置き場が移動したこともあり、町の中はすっきりした印象があるが、いまだ被災した車や家が手つかずの状態。すこしずつやっていくほかないだろうし、僕もできることを石巻でお世話になった人とはじめていこうと決意。
僕はこう考えることにしている。僕が知りあった石巻の人といっしょに打開策を考えていくことは僕の新たな責任だと。子供を育てることや、様々なルールを守ること同じように。そしてこれほどまでに、貴重であり、意義深い経験もないだろうとも。

旅行に来てはいるけれど、なんとなく心を日本においてきたような気分なのは、半分は石巻の景色のせいだろう。どこか石巻の景色と、旅先での景色を比較してしまう自分がいる。そんなことしても何の意味もないことではあるのだけれど。そしてラブアンドピースな川沿いの炊き出しや、店主の人柄にすいよせられて満席になっている不思議なカフェでの経験が石巻の復興におけるヒントなのかもしれないなとボンヤリおもったり。なんの根拠もなく。

とりあえず、今日はここまで。