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旅行を楽しむ技術

知り合いがベトナムにいったというツイートをみて、ベトナムの街並みを想像している。僕は近隣国にはいったことがあるが、なぜかベトナムには行ってない。沢木耕太郎さんの本でベトナムを旅行する話、一号線を北上せよをよみ、また住みついてしまった友人や、長く住んでいた人から話を聞き、近い将来いくことになるだろうと思っているが、それは旅行だろうか、仕事だろうか。どちらでもいい。大昔にJALが直行便を飛ばすというので、そのキャンペーンによるラジオCMが頭に残っている。セリフはすっかり抜けてしまったけれど、そのCMのリズムと近隣国のイメージを重ね合わせて、きらきらとした世界を創造している。アオザイとかね。

旅行は技術だという人がいるけれど、まあそれは確かにある。だからといって、団体旅行では楽しめないかというとそうでもないとも思う。それはおっかなびっくり耳をふさいで何も語らず緊張して旅行するよりは、いつも仲間とバスの窓から異国を眺めるような旅行のほうがよっぽと楽しいだろう。僕はときより旅行者で若干パニック状態になっている人をみるにつけ、そう思うのである。おそらくハプニングだらけで、また言葉も通じない、日々ただすごすことに決めた旅行者だ。
先日喫茶店でとなりのカップルがやまほどのガイドブックを机に積んでよみあさっていた。パリ、ヨーロッパ旅行!豪華なんちゃら・・。僕はそれをみながら、なんだか意地悪なはなしだけどアジア旅行をすすめたくなった。あるいはリゾートにしなさい!とアドバイスしたくなった。ヨーロッパ旅行は目的がしっかりしていないと楽しめない。こちらからしかけないと何もかえってこない。誰も話しかけたりはしてくれない。インドだったら20分に一回は話しかけられるけれど。見たいのか、感じたいのかよくわからない何がしかをガイドブックからあさって程度では楽しめるものではないと思うからだ。

旅行に技術があると書いたけれど、簡単にいってしまうと楽しむ技術だと思う。具体的にいうと現地の言葉を覚える。あとはハプニングをいちいち気にしない。むしろお土産が増えたくらいに思う。あと物おじしないことや、誘いにはのる。(ガイドブックには絶対に書いてないことだけど。)話かかけられたら答えるなど。タクシーの運転手にだまされない方法、如何に安く泊まるか、同じホテルにいる旅行者と出来るだけ仲良くなるなどは上級編とししてあるけれど、これらの多くは僕は他の旅行者から学んだだことだ。とくにイスラエルの旅行者には気合いの入った人が多く彼らからは学んだことは多い。バックパッカーのマネごとをしていた学生のときにインド旅行で何日かいっしょだったイスラエル人は何カ月もアジアを滞在するつわものかつ、そうした技術マスターだった。2日間電車の中で彼らとすごす羽目になり、様々な武勇伝やストライキ中の電車の中で散々楽しんだあと、夜中についた町で本領発揮。タクシーでは隣にすわりドライバーを脅しつつ値切る。ホテルは一軒一軒たたきおこしながら、自分が考えている値段よりも高いと隣へ隣へと移動。他にもいろいろなことがあったけれど、彼と過ごした数日は、その後の旅行人生に大きな影響を与えた。それから2年後に彼とばったり、日本の町であったときには心底驚いたが、おそらく彼は今でも旅行をしているに違いないと確信している。

話がぐーんと飛んでしまったが、そんな経験といまの僕の人生の関わりは無関係ではない。旅行同様、人生もコントロールしたいと思ったがゆえに独立をしたのだと思う。さらにいうと、この職業を選んだのも、独立できるからなのかもしれないと思うことだってある。これは秘密だけれど。
どうにかなるやと楽観的になれるのは、おそらくそうした技術が下敷きになっている。海外進出といういかにもな言葉が最近僕のまわりでささやかれるけれど、それもどこか呑気にというか来る時が来たらポンと腰がうくのをまっている。バンコクの町で突然カンボジアに行くことをきめたように。内向き、外向きという議論もあるけれど、僕はどちらでも構わないと思う。ただ、旅行は楽しめる体質にはなっていたほうがいいと思う。これからどんな社会になろうとも、その変化を楽しみ、ハプニングをチャンスにするくらないのタフさ、どこの国でもいきていけるほどたくましくさを娘たちには身につけてもらいたいと思う。それらを習得するのに、旅行を楽しむ技術を身につけることが有効なんじゃないかと思う。