折り返し地点
年齢的に人生の折り返し地点を迎えた。なんとなく人生を75年くらいだろうと(左利き短命説もあるし。)踏んでいたところもあるから、そろそろ引き算で人生を考えようと思った誕生日の朝。
月曜日だから事務所の掃除から始める。めずらしいことに、入口のドアで2人のスタッフと同時に扉をあけることになった。こんなこと始めてだ。いま事務所は、商品化前のプロトタイプ達や、嫁ぐまえの本棚や、作りかけのプロトタイプ、そしてミスをしてしまった家具、でごったがえしている。動かすと先月痛めた腰を再発しかねないから、若いスタッフに動かしてもらう。が、彼が非力のため(事務所生活をはじめてから非力になったか・・。)手伝わざるえずに、腰をいたわりながら、重たい棚を動かす。
ショップスペース構想は、311の震災によってプライオリティー変更によって先延ばしになっているが、まずはこれらの嫁ぎ先や取り付けをしてしまわないと・・。
引き算で人生を考えるといっても焦る必要もなしと考えている。つまりこれからは大きい仕事をするのだ!と意気込んだところで、仕事は鼻息とは比例しない。落ち着いた日々なのであれば、いままでまいた種をどう育てるかを考えることもありだろう。
被災したクライアントとともに、そのお店と周辺の町について、ゆっくりとしかし確実に未来を考えていくことも今年の大事な仕事。あれやこれやといろいろあるけれど、順番にしか物事をかたづけられないわけで、机に順番につみながら片づけていくほかない。
この折り返し地点において、ふと思ったことをつらつらと書かせていただきたい。
週末からぼんやり思っていること。震災の話。
震災がらみで、東北に対して何ができるかという議論を様々なところで聞く。そしてアクションをどう起こしたらいいのか良くわからないという悩みを聞く。と同時に、現地ではいくらでも支援が必要だというような話がある。答えは、実際現地にのりこまずともいくらでも支援する方法があるし、行けばそれはそれなりにあるということ。前提条件なしに、どちらがいいとか、何がベストだとか、そういった議論は不毛だろう。僕はたまたまクライアントがそこにいたから、現地に入り込みやすかったし、情報も入ってくる。よって今のところは僕ができることは何かということも割と明快にみえる。さて、今後起こりうる問題を誤解を恐れずに、そして自戒をこめて・・いくつか列記する。すでに行動を起こしている人たちが、偉そうにその行動について語りだすこと。何も出来ないと思いこんでしまっている人たちが、震災そのものを無視することで自分とは関係ないことにしてしまうこと。そして時間がたつにつれて関心がうすれていくこと。これからの被災地との関わりは、毎日の生活の中で、日常の中で、言い方が正しいかどうかわからないがroutinとしてとらえるべきだろうと思う。コンビニでお釣りを募金すること、東北の観光地に遊びにいくこと、アクションを起こしているひとを盛り上げること、これらを日常にしていくことが大事なんだろうと思う。そして長いスパンで支援していく必要があることをアナウンスし続けることだろう。これは、アクションを起こした、あるいは関わった人の仕事であるし、被災地の方々の仕事でもある。
アクションを起こしている人は、多くの人が東北にいかに関わりやすく状況を整えるか、そこにエネルギーを注ぐタイミングだろう。。出来るだけ多くの人をその関わっているプロジェクトに参加を促すこと、それは無関心を退ける唯一の方法ではないだろうか。
いま石巻では、現地での若い力が結集しつつあって、過去の石巻<未来の石巻ということを目指して
活気づいてきている。僕が関わっているところ以外にもそうした動きがあるのだと思う。
それらをネットワークさせていくこと、お互いにがんばろうと盛り上がっていけば、ひょっとすると
ひょっとするかもしれないと思っている。
僕はその状況を俯瞰しながら、どう動けば、なにを動かせばベストパフォーマンスとなるのかを
にらみつつ、駒として動きつつ。クライアントによるおいしい石巻の海の幸をいただくことを待ちつつ。