人のいうことを聞くな。
僕はすぐに心配になる。ありとあらゆることで。こう見えて結構小心者だ。同時に忘れっぽいからなんとかなっているものの、これでもし人並みの記憶力があったとしたら・・あー恐ろしい。
僕は事務所の所長だから決定権があって、従順なスタッフはあとで怒られるのがこわいらしく何から何まできいてくる。消しゴムのしまってある場所までも・・。当然そこまで聞いてほしくないこともある。考えればわかることは、考えて決定事項を伝えてほしい。とはいえ、勘を働かせて危ない部分はどんなに細かいことでも聞いてもらいたいと思っている。「バカヤローききなさい!」「そんなこときくんじゃねー。」と交互に言っているようなものだから、彼らは混乱しているようだ。
あ、脱線しまくっているが、少し前にもどると、僕は心配症だから・・えらそうに自分の決定したこが心配なのである。しばらくあれでよかったのかな・・・、あーしたほうがいいかなとくよくよ考えている。そしてここだけの話だけど時々失敗もするし、時には大成功もするわけで、時にはこっそり出費して直してしまうこともあるし、どうにもならない、けれども誰もそのことに気づかないこともある。そんなことを繰り返しているから心配になる。だからスタッフに、これ大丈夫かなー?大丈夫かなー?と口癖のように・・・。
さて話はかわるが、おかげさまでというか、投資が効いてきたというべきか家具をデザインすること、それを売ることが増えてきた。ようやくいくつかきちんとした商品を送り出すことも。これは2年前の僕にできたかというと相当あやしい。多分よくわからなかったと思う。つまり商品とはいかなる成り立ちで生まれるものかということ、根本的にわかっていなかったから。では、今の僕がわかっているかというと、わかっていなかったことがわかった程度であるのだが・・。まずはそのカラクリについて少しでも考えをめぐらせることができるのか、そこは大事なステップのひとつだろう。もし作って、不特定多数に買ってもらいたければだが。さて、では最も大事なステップとはなにか。グッドデザインであるかどうか。僕はそう信じている。そうでない粗悪品だって売れるわけだけれど、デザインを語るものがそこに手をそめてはいけない。物の生まれ方、使われ方、そしてその最後をきちんとシュミレーションすべき。それはグッドデザインにおける大事な要素だろう。さて、その次。そのグッドデザインが評価されるかいなや。つまり後々まで残っていくかいなや。これはオリジナリティーなんだろうと思う。月並みな言い方をすると。なぜそんなことがいえるかって?いやっていうほど展示会でデザインをみていると、なんかそんな気がしてきたのだよ。
とはいえ、心配性の僕はデザインの良しあしをスタッフや友人に聞く。共感を得たいと思い。あるいは欠陥がないか、よりよくする方法はないのか。これは誰もがいうように、とても大事なプロセスである。と同時に・・・大事な部分、僕のくせのようなところ、あるいはこう書くのは若干逃げなんだけれど直感的にそうしたほうがいいんじゃないかと思ったところにおいては、誰のいうことも聞いてはいけない。
あいまいな判断はかならず後悔する。だから聞いてはいけないのだと最近そう思い始めた。
謙虚さと傲慢さのバランス。
多分、これは大事。