サバイバル
僕は決してボランタリー精神にあふれた人間ではないけれど、今回の震災ではさすがに僕も何かをしたいと思った。特に石巻で、クライアントであり、家族ぐるみでお付き合いしている家族が被災してしまったからなおさらである。なにか僕ができること、出来れば得意なことで、何ができるかと思ったが、先月石巻にいったときは、とりあえずは力仕事であり、ただ話をきくだけのようなところが関の山であった。そして今週末、また行くことになっているがもう少し僕がやれることが増えつつある。
地震、そして津波から早2ヶ月が経つ。様々なメディアや現地での話をダイレクトに聞く限り、状況は徐々に良くよくなりつつあるように見える。ボランティア、市民による素晴らしくも、地道な作業の積み重ねによるところも大きいだろう。僕が関わっている石巻中央、そのまさに中央にあるレストラン松竹も電気、水道、ガスが復旧したとの話だ。また半壊状態の建築を解体するという連絡も来た。僕がスキルを役立たせることが出来る場面が増えてきた。ではこのタイミングで何ができるのかと考えたときに、被災地での市民は今、どのような気持ちでいるのか、現地での事実を知ること、本音を聞く必要がある。といってもあくまで、どこまで想像できるかという話なのだが、爆心地から~がんばろう石巻を3月の頭から読むことでずいぶん考えさせられた。胸が苦しくなる場面もある。美談もあるが目を覆いたくなるような現実も書かれている。貴重な記録である。
ブログを読む限り、ここ2ヶ月はなんとか生活するということ、震災における究極の応急処置である。あくまで推測の域をでないが、非日常なりにも生活にリズムが出始めると、いろいろ考える時間ができてくるのだろう。そして未来への不安が増大してくるのだろう。
爆心地からに、こう書いてある。
”被災地ではなんとか最低限の衣食は満たされつつある。
それでも、将来は全く見通しが立たず、みな不安な毎日を送っている。
雇用。
貯蓄。
家族。
必死に肉体を動かし続けなければならない時期が過ぎ、ふと立ち止まると、具体的な不安や漠然とした恐怖がどんよりとからみつく。”
どうやってこの先の生活を支えていくのか、いつまでも炊き出しや仮設のお風呂があるわけでもない。現状では借金の返済をとめていると聞くが、それはどこかで始まってしまう。
いずれにせよ、経済活動を始めるしかないのである。しかしながら、行政から建築条件や復興における支援などの指針もあいまいのままだ。いかに始めるのか、いまだから・・ということもある。
また、元の町を復興させたらいいのか?元々の町づくりがうまくいっていたかどうか、その事実を商店街主たちはよくわかっているから、町づくりの機運も高まっている。そんなわけで、いくつかのプロジェクトが立ち上がってきた。
おこがましい話だが、僕はその双方に関わろうと決めた。役に立たないかもしれない。途中でいらないといわれるかもしれない。ただ・・・きっと役に立つのではないかという推測をもとに。実はいうとそれは建築に関するスキルやデザインのスキルよりも、むしろサバイバルのスキルが役に立つのではないかと思っている。事務所運営をぎりぎりで走らせてきたこと。自分のオフィスを4回つくることによって、また厳しい予算管理のなかでなんとか着地させてきたスキル。間違いなくそれはサバイバルであった。なぜならば必死だったから。この世界で生きていくと決め付けて生活をしていくということは。いまも少なからず・・というかサバイバルに終わりはない。
できる限り少ない原資でいかに最大効果をあげるか、そんなアイデアがサバイバルではもとめられる。僕は彼らとそのサバイバルを楽しみたい。そう、あえて楽しむという言葉をつかいたい。新しいビジネスも、おそらく商業地における町づくりも、解体が進む町を活気づかせること、それは間違いなくサバイバル精神を必要としている。