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インドで会った二人のビッキー。

20年ぶりにインドにいくことになった。そんなわけで20年前のことを今週はよく思いだしていた。当時からインド旅行は人生が変わる、人生観が変わるといわれていたけれど、僕にとってはそんな大げさなことはなかったと思う。ただあまりにハプニングだらけの旅行に、どこにでも旅行できるような気になったこと、実際どこにいってもインド以上のことはなかったから、それは大いに役にたった。今考えてみても不思議なことがたくさんあった。一か月インドにいたのだけど、そのうち10日はインドで知り合ったインド人の家に泊めてもらった。なぜか不思議な友情が芽生えて洋服を交換したり、毎日観光につきあってもらったりした。そんなことは今後一切起こらないだろう。だれもおっさんは泊めてはくれない。帰りのチケットが使えなくなって、お金もなくなって旅行者の日本人に借りた。今思えば僕が返す保障はない。日本人を強く意識した瞬間でもあった。さまざまな遺跡や観光地をまわった。たしかにそれらはとても興味深いものだったけれど今でも思いだすのは、2人のインド人、僕をとめてくれたインド人だ。

不思議なことに二人ともビッキーというあだ名でよばれていた。単なる偶然だ。
一人目のビッキーは、おそらくちょっとしたお金持ち(その町では)だったと思う。出会いは忘れたが彼の家には2泊したはずだ。彼は敬虔なヒンズー教徒だったけれど、ディナーではお酒を飲んだ。お酒を買う時にまるでパチンコ屋の換金所のようなところでこっそりとお酒を買っていた。そこには小さな行列ができていた。そのお酒は日本に持って帰ってきたけど薬臭くて飲めなかった。。インドではおいしかったのに。。ビッキーとはお互いの家族の話や国の話をした。いやほとんどは聞いていたはずだ。国を語れるほどの英語力はいまでも持ち合わせていない。お酒も手伝って会話をしていた気になっていたんだろう。で、いくつかのオモシロイ話のなかで、ビッキーのガールフレンドの話はまるでおとぎ話ようだった。彼女はイスラム教徒だった。だから二人の恋は禁断の恋だったわけだ。あるとき彼女の父がその事実に気付き娘を折檻する。そして睡眠薬をのみ自殺をはかる。その噂は小さな町、ブッタガヤーでまたたくまに広がった。その話をきいてビッキーは生れてはじめてウイスキーを買う。そして急性アルコール中毒となり病院に運ばれる。そして二人の禁断の恋は双方の親が折れることによって実ることとなる。それでも世間の目は厳しいと言っていた。町へ一緒に買い物にいき双方の服を作り合うなどして友情を深め再会を誓った。

二人目のビッキーは、ジャイプールという町で歩いている僕にバイクで近づいてきた。実はアグラという観光地で詐欺師に騙されそうになり逃げるように街をさったあとだったので少々警戒したが、不思議と彼は大丈夫だという気がした。その予想は正しくそれから1週間すっかりいっしょに遊んだ。その間彼の仕事は大丈夫だったんだろうか・・・・。とにかく彼のバイクでヒンズーの寺や、マーケットや、滝壺や、観光地をくまなく回った。毎朝彼がつくってくれるチャイがおいしかった。最後に彼と別れる時に、「僕らはあまりコミニケーションはとらなかったけれど心は通じ合っていた」といった。その彼のセリフとその情景はいまもありありと思い出すことができる。彼とも再会を誓った。

その後、二人のビッキーとは一度もあってない。一度ジャイプールのビッキーからは電話がかかってきた。手紙も書いた。手紙をもらった。とても感動的な手紙だったように思う。いまだったらfacebookでつながったりするんだろう。いずれにしても僕がおぼえているのは、二人の名前、あだ名と町だけだ。住所や電話番号もすべてわからない。だから会うことは不可能に近い。インドの思い出は、詐欺師やカメラを盗まれたこと、おなかをくだしこともあるけれど、二人の友人のおかげで美しいものになっている。ちょっと感傷的に思われるかもしれないが、二度と会えない友人が思い出を美化しているのは間違いない。

そんな僕にとっては美しいインドにまたいけることになった。
またおなかは確実にくだすだろう。20年前は5キロやせたから今回もちょっと期待してしまおう。荒療治ではあるけれど。