なぜ特注照明を作るのか
今から15年前の話。今はトップ照明デザイナーである岡安氏がまだ独立する前に彼とプロジェクトを行い、光を自由に作れるということに衝撃を受けた。それは理想の光を作ること、そしてそれを形にするというプロダクトの意味においてもその自由度と可能性に感動したのである。あれから15年たち、今もなお僕ももちろん岡安さんも光を作りつづけている。
実は光をコントロールすることは大変難しい。照明デザイナーという存在がいることもうなづける。がしかし、出来ればアーキテクトがコントロールするに越したことはない。構造、空間を完全に把握することがまずは大変重要だからだ。光は形ではない。拡がる粒子と捉えるのが正しい。しかしながらこの概念は、繰り返し光について考察、体験をという訓練によって手に入れられるものだ。僕自身20年近く携わってきてもなお難しさを感じるくらいだし、事務所でも何度となく図面での検討が繰り返され、最後は現場で微調整が行われる。
同時に光の多くがプロダクトデザインであることも大変悩ましい問題である。既製品のプロダクトは最大公約数で作られており、まさか出来上がる空間に配慮されてはいない。巨大なテレビがリビングについて考えられていないように、(リビングに置かれた巨大なテレビはまるでテレビの広告のよう。。)往々にしてカタログから選んだ照明器具は空間を不思議な世界へと誘っていく。これは困った問題だが、通常照明器具はあの分厚いカタログから選び、小さなデテールに目をつぶり渋々そこに置くことになる。
しかしながらかつての名建築をみると、そうした借り物はなにひとつない。いや、あるかもしれないがまず目にはつかない。アーキテクトはそこまでやって始めて空間の能力を引き出すのだ。逆にそこで作った照明を商品開発していくアーキテクトもいる。レンゾピアノで多く使われる器具はいま
http://www.iguzzini.com
から発表されている。彼らが作る空間との相性は抜群である。が、僕が使うには少しデテールが特徴的すぎる。いずれにしても、彼らはその照明を多くの建築に繰り返し使っている。
僕が携わる建築においても、照明のデザイン、光のあり方、出てきてしまう形に細心の注意を払うわけだけど、必ずしもその予算が確保できるわけでも、そこまでの時間やテストが確保できないことも多い。その場合の既製品の照明を使いこなす手法はゼロではないが、よく目につく器具はできれば建築のあり方に配慮されたものをデザインしたいと思っている。
こうした考え方は、おそらく建築家が長い歴史の中で受け継いできたレシピのようなものである。先日紹介したBawaや僕の先生であるPeterの建築でも光の扱いは繊細だ。僕がPeterから多くを学んだWall Houseでは既製品の照明は一つもない。ダウンライトですら使っていない。全て岡安氏と製作した。写真からわかる話ではないが、実際にいくと空間が見事に調和していることに感動する。プロポーションや材料の力は大きいが、小さなデテールまでのデザインが重要であることを僕は受け継いでいきたいと思っている。
写真はwall house